Header image    
          二十年前に書いた小説    
    ホーム                                              
 
 

あらすじ

 佳山悠は冬休みに、同じ美大生の瓜沢良平と動物公園で、義岩を造るアルバイトをしていた。オープン間近の昆虫園では、佳山たちの他にも急ピッチで施設の工事を進める業者や、世界中の昆虫を集めてオープンに備えて幼虫を育てるスタッフ達がいた。その中の一人の女に瓜沢が惚れてしまう。だが、女には先輩飼育員の彼氏がいた。不可解な飼育委員の行動に瓜沢が介入していくにつれて、佳山も巻き添え状態に。

Copyright (C) 2005 楽人【らくじん】ーReona, All rights reserved.

1



 東京の郊外にある動物公園では、来春オープンする予定の、蝶を中心とした昆虫類と熱帯植物で構成される新しい目玉となる昆虫園が建設されていた。昆虫園に隣接した温室では、さまざまな種類の蝶の幼虫が育てられていた。
 とにかく二人は金が無かった。3ナンバーの車で通学して来るような学生以外は休みの間バイトに精を出さなければならないことは言うまでもない。
 大学の冬休みのバイトを、佳山悠は二つ年上の瓜沢良平から紹介された。瓜沢の持っているおんぼろ車に乗せられて、今日初めてその動物公園へ向かうところだった。
 瓜沢は車のアクセルをすでに一杯に踏んづけていたが、クラッチを外し、トップギアからニュートラルにしてアクセルをもう一度おもいきり踏み込んだ。そして、エンジンの回転数が上がったところでまたクラッチをつなぐという動作を何度か繰り返して車を加速させた。
「すごい加速のさせ方だな」
「結構スピード出るだろ。この車、余分なものも積んでるわりに」
「何だいそりゃ、余分なものって」
「この車最近な、長い急な坂道を上るとな、ラジエーターから水がどばどば漏れるんだよ。そのままだと煙が出てくるから、坂を降りた後、車を止めて水を入れなきゃなんねんだ。 そのためにポリタンクにいつでも水を積んでんだよ。この車」
「そんな面倒くせーこといつもしてるん?」
「しょーがねえーだろう。この間、面倒くせーから水入れなかったらすげー煙が出てきて 前が見えなかったことがあって、慌ててスタンドに寄ったこともあったし・・・爆発するぞ、この車」
 笑いながら瓜沢はまた、クラッチを切ったりつないだりした。
「そんな重いものを積んでたら遅くなるんじゃないの」
「お前は物理学をしらんなぁ」
 瓜沢はかすれた声で笑いながら頭のハンチングに手をやった。
 佳山悠と瓜沢良平はアトリエが同室の美大生で、三年で一緒になるまでは話もしたこともなかった。目付きが悪かったし、くせっ毛でいつもハンチング帽姿だった瓜沢のことを佳山は「恐ろしい奴」と勝手に決め付けて、軟弱な俺とは関係ない、関係も持ちたくない、君子危うきに近寄らずと思っていた。
 絵画科だった二人は三年で版画や抽象など各専攻に別れるのだった。ただ各教室ではある程度人数制限があって、人気がある教室に入るには、それまでの成績がものをいうのだった。佳山はさぼってばかりであまり学校へ行ってなかった。女と同棲していて忙しいんだろと噂が立つほどめったにアトリエには顔を出さなかった。それでもどこか専攻しなくてはならず、すんなりと入れそうな一番人気の無さそうな教室を選んだ。
 その教室では一年間に千号分の絵を描かなくてはならないノルマがあった。百号のキャンバスで十枚。一年間と言っても大学の絵が描ける時間は、休みや文化祭、卒業制作などを抜かした残りしかない。計算すると都合半年の時間で千号描くことになる。材料費もばかにならないので人気は当然なかった。厳しいノルマを課す優しい教授に敢えて張り合っていこうと思っている奴か、変わり者が来るのであった。そこに瓜沢良平もいた。
 瓜沢は話してみると、口の悪さは恥ずかしさの裏返しだとよく分かった。兄きぶった話し方だが、細かいところまで気に留めていて誰に対しても、とても親切だった。
 女の子達も安心して瓜沢の周りに集まり、または好意があって近付いている子もいるようだったが、瓜沢は知ってか知らずか、そういう子に親切にはするが、深いつき合いにはいつもいたってないようだった。それでいて「陶芸科の美菜は、かわいいよな」
などと大声で話しているのを耳にすると、この男は案外女を知らないんじゃないのかなと佳山は思っていた。
 車の中も暖まってきて、佳山はようやく眠りから覚めて起きている実感がわいてきた。けれども体はだれていた。瓜沢はラジオのパーソナリティーがしゃべる変なアクセントの日本語を真似ていた。
「このバイトきついんかな」
 佳山は覇気のない語調で聞いた。
「前も言ったけど、昆虫園の中にでかい岩を幾つも本物そっくりに作るわけだ。ディズニーランドなんかによくあるじゃん、岩の間にジェットコースターが通ってんのが。ああいう岩は全部作りもので、義岩なんだ。俺達はそう言うのを作ってるわけ。一応、会社のスタジオで作ってきた完成予想図や設計図、模型なんかがあって参考にして進められていくけれど、何十メートルもあるのをつくるんだから自分の彫刻的センスが肝心だな。最初、鉄筋で骨格を作ってセメントを付けて色を塗るんだけどさ、セメント付けるんがすげー大変。オーバーハングのところなんか、セメントがボトボト落っこちてきちゃって顔にかかるわ、目に入るわ、そりゃあもう大騒ぎだ。現場の雰囲気はいいよ。遅刻しても怒られないし」
 瓜沢は仕事の内容を説明した。佳山は一応聞いていたが、聞いてるだけではあまりよく分からないと思った。遅刻しても良い点は理解できた。時間にルーズな職場なんだろうと勝手に思った。
 車はマンモス大学の中を通る坂道にさしかかった。冬休みとあって学生の姿もほとんど無かった。瓜沢はさっきの話の続きをしながらその坂道をぼろ車で上った。佳山は急な勾配が気になった。
 しばらくして佳山はちらっと瓜沢を見てから後ろを振り返り、自分達が通った道が濡れてないかバックシートに手をかけて、じっとアスファルトを見続けた。
 緩急のある坂道は森にかこまれ、山腹では大学のよく整備されたグランドでラガーシャツを着た学生が走りこみをしていた。樹木の影が、車のリアに映っては流れて消えていった。
 車内は暖かく気持ち良かったが、佳山は「はっ」として車の水温計を確かめた。
「随分、温度が上がってんじゃないか」
「ああ」
「やばいよ」
「おお」
「けむり出てないか?」
「気のせい、気のせい」
「出てるよ、やっぱり」
「もうすぐ下りだ」
「おお白煙が」
「見えない、見えない。ほら、もう下りだ」
 瓜沢はギアをニュートラルに入れ、一気に坂道を転がした。
「見ろ、煙が収まった。このぐらいの坂なら水を入れなくても大丈夫だな。でも、故障するまで分からなかったけど、今日ほどこの坂の長さが気になったことはなかったぜ。もう少しでやばかったな」
「一応、ラジエーター確かめたほうがいいんじゃないか」
「大丈夫だろう、このくらいなら。まだ帰りもあるし」
瓜沢はどんどん車を走らせた。
「サトちゃんもう来てるなぁ」
 瓜沢はそう言いながら動物園に着くと、横目でちらっと見た車の隣に自分の車を停めた。それから、動物園の門まで走って行き、守衛から許可証を貰って来ると、フロントに見えるように置いてエンジンを切った。しばらく惰性でガタガタと回ってから車の震えが止まると、辺りは静寂に包まれた。
「動いてなきゃ、本当にくず鉄だな」
「お前にはこの車の価値が分からないかなぁ」
「査定ゼロだろ」
 車から降りると外はやっぱり寒く、佳山は瓜沢の後について、ポケットに手を突っ込み、速足で坂道を歩いた。普段は家族連れやカップルで賑わう道を、動物園の職員が原付きバイクで走って行く。
「飼育係みたいな人がうろうろしてるね」
「お前ね、飼育係というのは動物園の中では偉いんだぜ、尊敬されてるんだよ」
「餌やるだけじゃないんだ」
「動物にとって食い物は命だぞ。飼育係も餌をやるんだろうけど、ま、それは係の人がいるらしい。多分、都の職員なんだろうけど。都の採用試験を受けるときは、ビルん中でやる仕事のつもりだったんだろうな、まさか象とかキリンに餌をやる仕事が回って来るとは思わなかったろう」
「公務員もつらいんね」
「だいたい動物園というところはもともと贅沢で出来たんだろ。確か、ヨーロッパかどっかの王様が珍しい動物、入手困難な動物を集めたのが始まりだろう?権力の象徴だぜ、動物園は。ここは都の税金だけどな。王様は君だってことだ」
「君が王様だ」
「俺は神奈川県民だけどな」
「・・・つまんねえこというねぇ」
 空気がひんやりしていた。兎がじっと、こちらを見ていた。天気は良かった。
 瓜沢は立ち止まって、寒さで丸まってる税金の兎を撫でた。佳山もその隣の小屋にもいるはずの兎の姿を探した。
「こいつは、どこにいるんかね」
「ここにいるじゃん。お前、どこに目を付けてんだよ」
 兎は冬毛に変わり、丸まって背中だけ見せて隅のほうに小さくなっていた。
 瓜沢は誰に対してもお前という感じで話したが、佳山は別段気にしてなかった。そういう言い方が似合う顔付きをしていた。
 瓜沢はハンチングを目深に被ると、また坂道を大またで歩いて行った。右にカーブした急な坂道を上がると、「昆虫園、○○年春完成予定」などと書かれた看板の向こうにガラス張りのドームが見えた。外側はほぼ完成していて、建物の工事としては表面のタイルや塗装が残されているぐらいだった。中に入ると左官業社や塗装業、それと鉄筋を溶接したり岩に色を付けている人達があちこちにいた。
「うりさわぁ、遅いよ!もうちっと早く来いよ」
 サングラスにちょび髭を生やした郷原が大声で怒鳴った。
「いやー郷原さん!今日は新しいバイト連れて来るのに・・・こいつん家まわって来たから ・・・もう道が混んじゃって」
「うそつけ!がらっがらっだったぞ。まあいいや、早く事務所に連れてってくれる!今すぐ俺も行くから」
 郷原は鉄筋を曲げながら溶接していた。青白い火花が飛び散っていた。佳山はいま挨拶すべきか考えたが、あいまいな態度を残して瓜沢と事務所に向かった。プレハブの事務所には長机と椅子がいくつかあるだけで、後は作業着と安全ヘルメットがぶら下がっているぐらいだった。瓜沢は溶接棒が入っているガンベルトのようなものを腰に付け、もう革の手袋をはめていた。
「この紙に名前書いてくれる。名前何だっけ?」
 郷原は事務所にやって来ると、十年も前から知ってるやつのように佳山にいきなり話しかけた。
「佳山です。よろしくお願いします」
「あー、佳山君。一応、名前書いておいてくれる。保険なんだよな。けがしたときに金がおりるから」
 郷原はちょび髭の下の口を忙しげに動かして、早く現場に来るように言ったら、さっさと事務所から出ていった。佳山はヘルメットを被って、渡されたジャンパーを着て瓜沢と二人現場に向かった。
「かわいい子だろ?」
 瓜沢があごで指した昆虫園の入り口にある案内所には、グリーンのスーツを着た二十歳くらいの女がいた。ネクタイに動物園のジャンパー姿の上司らしき男からなにやら話を聞いているようだった。もう一人若い男もそばにいた。
「絶対に彼女を誘うぞ」
 佳山は、また口だけのことを言ってと思った。だが、瓜沢が言ったのが聞こえたのか彼女は瓜沢たちの方を向いてじっと見た。確かに、品が良さそうで元気そうな明るい目をした子で、瓜沢が好きそうな子だった。こちらに微笑んだような気がしたが、気のせいだろう。それに、だれが見てもかわいいというタイプは瓜沢には悪いが、どうも胡散くさいと佳山は思っていた。
 タイル業者が敷石を通路に埋めていた。その間を通って現場に行くと、岩は色も塗られてほぼ完成に近いものから、これから鉄筋で骨格を作る状態の何もないところまでまちまちに進行していた。
 佳山は石原さんという三十才ぐらいの芸大出の人について、形が完成したモルタルの岩に色を塗る作業を担当させられた。
「大体分かるっしょ、見てれば。あの岩俺が塗ったんだけど、あんまり良くないけどさ、一応見れると思うんだよね、参考にしてやってみてくれる?このエアーブラシ使って」
 彼はくわえたばこで、塗料の入っているエアーブラシを佳山に手渡した。
 岩は本当に本物そっくりで、乾燥してるように見せる所は白っぽく塗られていたり、砂や苔のようすや岩を構成している成分によって出て来そうな色など、きちんと考えられて表現されていた。佳山は石原が指示したモルタルの岩を、エアーブラシで塗り始めた。石原はその隣のほぼ仕上がっている岩に慣れた手つきで色を重ね始めた。
「この塗料はアクリルなんですか?」
「そお、アクリル」
「石原さんは社員なんですか?」
「いちお、アルバイト。というよりフリーなんだけど契約社員って感じかな」
「絵、かいてんですか?」
「まあね」
「結婚してるんですか」
「うん。子供もいるよ」
「えー、若く見えるな。男の子?女の子?」
「子供?女だよ」
「名前は?」
「じゅん」
 佳山はいい響きだと思った。
「どういう字書くんですか?」
「平仮名でじゅん」
 佳山は急に安っぽい名前の感じがした。言った石原の顔も、ちょっと恥ずかしそうに見えた。
「佳山くんは彼女いるの?」
「いないですけど」
「案内所のところの彼女見た?かわいいよな。色が白くて」
 佳山はさっき見たグリーンのスーツの子だと思い、その子ならば見たと返事した。
「最近見かけるようになったんだけど。噂によるとこの昆虫園の飼育係と付き合っているんだって。彼は同じ大学の先輩だってさ。そこで毎日虫を見てるよ。彼女は今、大学院生なんだって。よく知らないけど、そのつてでアルバイトするみたいよ。もうしてるのかな。佳山くんは虫好き?子供のころはさ、ファーブル昆虫記とか読んだけどさ、大人になってもそういうのって続けられないじゃん。大体、気持ち悪いよ。彼女、まだ院の一年生なのかな?もう瓜沢が熱入れちゃってるだろう?そんなこと言ってなかった?」
「さっき、初めてかわいい子がいるぞっていってただけで、来る前は何にも言ってなかったですよ。・・・彼氏がいるんじゃな」
「ふ〜ん。瓜沢も本気なのかな・・・佳山くんと瓜沢は、何才違うの?」
「向こうが二つ上ですけど」
「じゃあ、彼女はその真ん中ぐらいかなぁ」
 石原は佳山に、今やっている岩を続けるように言って、自分は違う場所へ移って行った。佳山には実は、付き合い始めた彼女がいた。違うバイトをやっているときに知り合った高校生だった。そのバイト先には男子高校生もいて、彼女はそこで人気があった。正月に彼女から年賀状が来て電話番号が書いてあったが、これといって何もする気はなかったのに、たまたま遊びに来ていたバイトの男子高校生がそれを発見し、「それは連絡してっていうことですよ、せっかくだから電話した方がいいですよ」とのせられて電話した結果付き合っているのであった。
 高校三年生の彼女はとても背が小さくて、それに見合うぐらい顔も小さかった。最初の電話で盛り上がってしまい、とりあえずデートもしなくちゃというわけで、数日後、有楽町に映画を見に行ったのだった。
 最初に見たのは、特殊効果にとても金をかけているハリウッド映画で、だれが見ても満足いくつくりだった。今日はこのまま彼女と最後までいってしまおうかと思った。お昼を二人で食べた後、佳山はこれからどうしようかと考えた。自分が好かれているとはいえ、ホテルに行くには焦り過ぎだし、どうしてもという訳ではなかったので映画が趣味の佳山は、彼女に聞いてもう一本見ることにした。 
 新宿に場所を移して見た次の映画は、後から考えると、彼女と見る映画としては最低の部類に入ったであろう。スプラッターもので、キャーキャー言いながら見られると思ったら、そんな場面は一つもない映画だった。呪術師や悪魔が出て来て、呪文や呪われた行動をとるとても気分が滅入る映画だった。彼女は「ちょっと」と言って、その日初めてトイレに立った。佳山は彼女が帰って来たら気分を変えるために、まず手を握ろうと思った。彼女は用を済ませて帰って来て隣の席にまた座った。ハンカチを持ったその手を見ると、手の甲に大きなほくろがあった。それを見た佳山の気持ちは急に冷めていった。佳山は初めからそうなるきっかけを探していたかも知れなかった。だから大きなほくろを見ただけで、手の大きさも気になった。甲から浮き出た筋も気になった。足の大きさも気になった。尖ったハイヒールも気になった。次々と彼女のもっているものが気になった。
 スクリーンでは、明るさのかけらもない気持ち悪い映像と効果音が流れていた。このまま彼女と関係をもったら、二度と逃れられないような気がした。一生この気持ち悪さを引きずるような気がした。言いようのないネガティブな気持ちになった。早く映画館から出たかった。
 映画が終わって外に出ると、暗くなっていた。彼女の顔を見ると、何かを期待しているような張りのある顔をしていた。二重まぶたの子犬のような目が煮え切らない佳山の心を動かそうとしていた。しかし佳山は負担を感じた。
 歌舞伎町のネオンは眩く光っていた。ビルを伝わって降りてきた澱んだ空気は、人々の実直さや清廉さに抗うことなくすんなりとなじんで、それらを徐々に麻痺させていった。
 佳山は彼女に精一杯明るい調子で「帰ろう」と言った。

2


 任された岩のベースとなる色はほぼ塗れた。佳山は高校生の彼女とどうやって別れればよいか考えながら、次の工程を聞くために石原を目で探した。
 瓜沢良平は岩の骨格となる鉄筋の溶接をしていた。すぐとなりでも郷原が溶接の火花を散らし、その上にもう一人鉄筋を曲げながら溶接している男がいた。
 高さが十メートル近くあり、横はもっとある岩の骨格は、いびつなジャングルジムのようだった。幼気なこどもたちならばかわいらしいところだが、そこには三人のむさ苦しい男たちが溶接眼鏡をしてぶら下がっていた。中でも一番むさ苦しいのが、一番上にいる金沢だった。本当は金井という名字だったが、金沢にある美術工芸大の彫刻科出身だったので。混同されやすく、通称金沢で通っていた。この会社の社員となった郷原とは同年代で一緒に仕事をしてきたが、金沢はいまだにフリーとしてやっている。郷原が妻子持ちであるのに対して、四十を前にしていまだに独身を貫いていた。というより、結果的に独身だった。
「サトちゃんさぁ。今度アルバイトでさぁ。女の子、募集しようよ」
「まぁた、そんなこと言ってる」
「いいぞお。女の子の作業着はミニスカートにしてさぁ、俺達はその下で眺めながら仕事すんの。やっぱ女の子がいなくちゃ。環境悪いよ。今度からそうしようよ、サトちゃん」
「おおい。仕事になるか、女入れて!その性格で」
「なるよ、なる。俺、断然やる気出ちゃうな。なぁ、瓜沢くん」
「そうっすね」
 瓜沢は他のことを考えていた。
「ほーれ。聞いた?サトちゃん。みんな元気出ちゃうってさ」
「だから、元気出ちゃうようなやつが仕事しなくなるもんなの」
「じゃ、俺達が元気に仕事しちゃいけないってわけ?」
「元気出るのは構わないけれど、金沢たちはあっちのほうだけ元気になる恐れがあるってこと!」
「聞いーた?,ねえ、みんな聞いーた?ひどい。ひどすぎるー!」
 金沢は冗談を口走りながらも、岩のイメージを浮かべながら骨格を適切に作り上げていった。よく飲食店などでは、客で込み合ったピーク時に厨房内は一種のパニックになるが、忙しさに煽られながらも従業員たちは軽口をたたき合い、いつもの調子を発揮するのに似ていた。調子が出て来ると頭ではなく感覚的に仕事をしているのだった。金沢は現場のムードメーカーであり、チームリーダーの役割をしていた。郷原は現場の責任者として事務的仕事と全体のフォローを主にした。二人はむかしから、いいコンビだった。この動物公園にある猛禽舍の岩も彼らが作った。アメリカ大陸の壮大なキャニオンを思わせる薄いモスグリーンの岩に滝が落ち、勇壮と鷲やはげ鷹が飛ぶ姿は、今では業界の代表的作品として参考とされている。今作っている岩もきっとそうなるであろう。
「昼飯だぞ」
 郷原が言った。みんな仕出し弁当が届いている事務所に向かった。アルバイトは瓜沢たちのほかにも五、六人いた。同じ大学の奴だと顔を見て分かったが名前までは知らなかった。
 瓜沢は急いで弁当を食べていた。食べながら、
「お前も早く食っちまえよ。案内所の彼女を見に行くぞ」
 と、まだ弁当にろくに箸も付けていない佳山を急かした。瓜沢が行動に出るのは珍しかった。
「あの子は、これだね」と言って、金沢はこめかみを両手で挟んで、その両手を真っすぐ前につき出した。
「あれは何でも夢中になるタイプだね。・・・けど、結構寂しがりやでさ。・・・動物園の中歩いてんの見たけどちょっと陰があったぞ。だけど、人に会うと明るくする。いい子だけど付き合うのは厄介だぞ」
「そこまでわかるか」
 郷原も口を出した。
「わかるんだよな。何度も失恋している、おセンチな俺には。サトちゃんは俺と会う前に既に学生結婚しちゃってたから、そのへんのところ鈍いのよ」
「そんなことねえよう」
 郷原は家から持ってきたランチジャーのみそ汁を飲みながら答えた。
 佳山が食べ終わると彼女のいつもいる温室に二人は歩いて行くことにした。昼になって十分も経っていなかった。
「最近すれ違うときあいさつしてくれんだぜ」
 と瓜沢は恥ずかしげに言った。
「でも、彼女が昆虫園の飼育係と付き合ってるっていうのは知ってるん?」
「なんか、そうらしいな。でもそうと決まったわけじゃぁないし、付き合ってても別れるかもしれないし、俺のほうが良くなる可能性もあるだろう?」
「そりゃあそうだけど。付き合ってくれるかが問題じゃん?」
「最初は付き合わなくてもさ、毎日連絡していればいいんだ。そしたら段々と情がうつってくるだろう。それでたまに連絡をしないと、向こうはなんとなく寂しくなって。そして俺に対する気持ちに気付くという訳だ」
「よく聞くような手だな。だいち、そんなうまくいくわけないじゃん」
「やってみなけりゃ分かんねぇだろ」
「じゃあ一人で行けば」
「頼む。ついて来てくれ」
「しょうがねぇなあ」
 二人は温室まで来ると、中を覗いて彼女を探した。
「いたいた」
 佳山がそう言って中に入ろうとした。
「ちょっと待てよ」

                     

3

 

「ちょっと待てよ」

 瓜沢は佳山が入ろうとするところを止めた。彼女が例の飼育係となにか話し合っていたからだった。実際は話し合いというより口論に近かった。二人はそのまま仕方なく、外から様子を見ることにした。

 口論はしばらく続いた。

 驚いたのはその後だった。ちょっと間があいたなと思ったら、彼女は側に置いてあるケースから蝶の幼虫を取り出すとそれを口の中へ入れてしまった。その瞬間、飼育係は彼女の頬をひっぱたき彼女の口から緑色のものが飛び出した。見ていた二人はとても信じられなかった。彼女は怒っているような泣いているような顔をして、こちらに走ってきて瓜沢にぶつかって外へ飛び出て行った。

 瓜沢は佳山に一瞥すると、その跡を追いかけて行った。佳山は男女の喧嘩でこんなに激しいのはテレビドラマ以外では見たことがないと思った。だけど、今見たものをたんなる喧嘩だと決め付けられそうもなかった。佳山は思わず温室の中へ入っていった。飼育係は佳山に気付きこちらを見た・・・が何も言わなかった。

 彼は動かされた蝶の幼虫が入ったケースを冷静に元の場所に戻すと、端に置いてあるものから順番に、食草を坦々と与えていった。その目は、母乳を与える母親のような目をしていた。赤子にとっては神に値するかもしれないが、そういう母親の雰囲気は周りにいる赤の他人から見るとエゴイストの固まりのようで、佳山は嫌だった。 

 昔、近所の仲良しの子供とよく遊んだことを思い出した。その子の、若くて魅力的

なお母さんも自分と遊んでくれた。ほのかな憧れや愛情まで感じたが、生まれたばか

りの赤ん坊が空腹で泣き出すと。他人がいる前で豊満な乳房を出して赤ん坊に含ませ

た。そんなとき子供なりにしらけた気分になった。侮辱に近い思いをした。その母親

の目もそうだった。結局は自分の子だけがかわいいのだと、幼いころの佳山は思った

ことがあった。

  男は黙って食草を与え続けていた。一番手前のケースを見ると、二、三十個もある

蝶の蛹が、ちょうど金属の輪に縦に挟まるように合理的かつ無造作に挿してあった。

佳山には小さな赤ん坊が金属の輪に挿してあるように思えた。

 瓜沢と、飛び出していった彼女はオランウータン舎の前にいた。彼女の名前は中野

裕子といった。

「じゃあ、困らせようとしてあんなことしたんだ?」

「だってとっさに逆上しちゃって、他に思いつかなかったのだもの」

「よく芋虫なんか食おうとしたね」

「あたしだって食べようなんて思わなかったわよ。ただ口に入れてみただけ」

「それにしたって普通、気持ち悪いと思うけど」

「あたしも口に入れたのは初めてだったけど、芋虫ぐらい気持ち悪がっていたら、昆虫の世話なんてできないわよ」

 オランウータンが近寄って来た。檻はなかったが、客との間に幅のあるかなり深い

堀があってそれ以上近付けなかった。

「あいつと付き合ってんだろ。別れるのか?」

「分からないわ。ただ最近あやしい様子なのもあって、わざと彼の職場でアルバイト

しようと思って頼んだのよ。彼も開き直ってアルバイトするの断らなかったけど、変な電話がここの職場までかかってきたの」

 彼女がそのことについて問い詰めると、彼はさらに開き直るので腹が立つのといたたまれなさとで、今回の行動に出たというのだった。

 瓜沢は中野裕子の強い性格を知ってくると少しばかり気がひるんだ。が、思わぬこ

とで彼女と近くなることができて内心喜んでいた。

 オランウータンがぎりぎりまで近付いてきて手をたたき、手の平をこちらに差し出

しておねだりのポーズをとって見せた。彼女はオランウータンに向かって、「ゴメン

ネー。何もないのよー」と両手を開いて少しおどけて見せた。今話していることとうらはらな屈託のない笑顔だった。少し茶色い肩ほどの髪がゆれ、陽光がその中を透って光っていた。

 オランウータンは何度かおねだりをしたが、何もくれないのを察したか、少し下がって途方に暮れていた。

「だれがあんなこと教えるのかねぇ?」

 瓜沢はオランウータンを指しながら言った。

「ここに来た人が“ちょーだい”をさせて餌をやっちゃってるんじゃないの?」

「餌をやるなって書いてあるのに、みんなやるんだよな」

「自分の子供が喜べば、なんでもするのよ」

 オランウータンは空を見ていた。

「オランウータンてさ、だれが入ってんかな?」

「入ってるって?オランウータンはオランウータンでしょ」

「いや、あの動きはだれか入っている。でなきゃ、あんな人間のような風情が出るわけは ない。見てみな、あの顔。人生が滲み出てる」

 中野裕子はにこやかに笑っていた。

「よく見てみな。背中のところにジッパーがあるだろう」

「あってもおかしくないような毛並みよね」

「閉園の時間になると、そこからお疲れさんって言いながら、きっと中からだれかが出てくるんだよ」

 雲が流れていた。オランウータンは聞いていないふりをしていた。

 陽が傾き始めていた。光が昆虫園の総ガラス張りの屋根や壁を通って、全体がスカーレットの発光体と化し、周りの樹木の緑と呼応していた。

 瓜沢良平と佳山悠は、ならんで鉄筋を溶接していた。形ができた岩は、ほぼ色を塗り尽くされていた。色の仕上げは、じゅんパパ石原がするので、それ以外の者は、新しい岩を作るために溶接や形が出来上がった鉄筋にラスという金網を張る作業にあたった。もちろん佳山は溶接は初めてだった。さっき溶接の仕方を教わったばかりだった。重要な見せ場

になるであろう岩の骨格は郷原と金沢がやっていて、あまり影響のないところの岩を瓜沢たちは任された。瓜沢は一番主になる十ミリの鉄筋で、佳山はその鉄筋と鉄筋の間を補強するように五ミリの鉄筋で溶接するように言われていた。離れたところから郷原の声が聞こえた。

「おーい。直接火花を見るなよ!」

 瓜沢も佳山に言った。

「お前、サングラスしてても火花から焦点ずらしたほうがいいぞ。溶接する前に見ておいて、ここだなっと、あたりを付けたら、なるべく見ないでやった方がいいってよ。とにかく紫外線で眼底やられちゃうからな。ある日、朝起きると目の前が白くしか見えなくなるってよ」

「本当かよ」

                           4に、つづく…

 

 

             

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4  

             準備中…

   
       
       

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送